やりたいことをぜんぶやろう!気ままな人生

「人間一生、物見遊山」そんな生き方をしてみたい。

 

本丸表門と旧二の丸隅櫓が現存する新発田城と近江八景を取り入れたみごとな清水園。

      2021/09/22

新潟です。

前回の新潟では、高田城と春日山城まで来てましたので、今回はさらにその北へ向かいます。

高田城はみごとな土塁と三重櫓に約4000本の桜が満開で、西堀越しの妙高山は絶景でした。

高田城はみごとな土塁と三重櫓に約4000本の桜が満開で、西堀越しの妙高山は絶景でした。

新発田城(しばたじょう)です。漢字は難しいです。「新発田」で「しばた」と最初読めませんでした。笑。

新発田城

新潟から少し北になりますね。

この日はすごくいい天気でした。

新発田城は日本100名城に選定されています。公園の駐車場から見えてるのが、本丸三階櫓。

公園からは見れますが、当日見学は出来ませんでした。調べてみると、隣が自衛隊の駐屯地なんですが、その関係から内部の見学は出来ないようになってるそうです。

この後書きますが、辰巳櫓から自衛隊の方よく見えるんですけどね。

本丸と二ノ丸の約半分は廃城令後に陸軍の管轄となってから現在は陸上自衛隊が駐屯しているそうです。

平成に復元された櫓だそうです。なので新しいんですねぇ。天守閣のようにも見えますが、天守閣ではなく櫓と呼んでいたそうです。その辺は外様大名だった溝口家が幕府に遠慮したんでしょうか。

これ、桜です。咲くと見事みたいです。

ちなみに、柴田城跡の隣にあるこの公園というか、新発田城址公園。

すごくきもちがいい公園になってました。暑すぎて休憩する気にはなれませんでしたが、このベンチの配置もなんだか面白いです。

堀沿いに進んでいくと、二の丸隅櫓(現存)。ちなみに、この堀沿いのところも桜で、新発田城の桜もみごとだそうです。みてみたいです。

さらに堀沿いに進んで表門(現存)とその先に本丸辰巳櫓。

表門。石垣は1669年の大地震で大半が崩れて積み直しされたそうです。全面が「切込はぎ布積み」で積み直されていて、この石垣が石積みの施工技術でも全国トップクラスのものだそうです。

表門、櫓の中は見学できますね。

表門と旧二の丸隅櫓は江戸時代から現存する建造物なんですが、これは新潟県内で唯一だそうです。戊辰戦争の影響でしょうか。

表門の中。

二の丸隅櫓

二の丸北部にあった櫓を昭和34年に移築したものだそうです。1668年の大火後の建築だそうです。

昭和34年に解体修理したと言っても、300年以上保存されている立派な梁ですね。

ボランティアの方が待機していたんですが、お願いすれば説明もしれもらえるんだと思います。私一人でこんなご時世なので私はお願いしませんでした。

清水園

新発田城を見学した後は清水園へ向かいました。

駐車場横にある石黒家住宅。江戸時代後期、中級武士の標準的な居宅だそうです。武士の中で言えば標準的な屋敷って事ですね。身分社会で武士の時点で上流社会じゃないかなと思います。

地方によって違いますが、雑に言うと、ざっと10%くらいが武士だったそうです。武士はまぁ、家禄をもらって働かず生活していた上級社会ですね。じゃ、セレブのような生活だったか?と言うとなかなか大変だったようです。

私の自宅と同じくらいかなぁ。それほど広くない庭ですが、丁寧に手入れすればそれなりに見える感じでしょうかね。

では、ここから清水園へ。

受付の横にある門がなかなかの風情でした。

見事な茅葺屋根ですが、苔もついてて雰囲気がでてますね。

中門。

書院へ。お客さん私だけだったので、ガイドさんつきっきりで解説してもらえました。この方やっぱり歴史に詳しくかなり細かく話をしてくれて、勉強になりましたねぇ。

書院からみる見事な庭園。

「京風の庭の中心に、草書体の「水」の字をえがく大池泉を配し」って紹介があります。多いのは「心」の字をえがく池だそうです。

池を字に模してるって知りませんでした。勉強になります。

障子を修理して使っているもの。

訪問から時間が経ってブログを書いているので、ガイドさんから教えてもらったネタをだいぶ忘れてしまってるようです。やっぱりブログを早く書き上げないといけないです。

書院からの景色を見て、ガイドさんの丁寧な説明を聞いた後、庭園を周回します。

確か、馬の練習をした通路だったそうで、昔はもっと長かったみたいです。

背景にビルとか余計なものがないので、殿様が見ていた景色と同じなんでしょう。

もともと新発田市にあった酒蔵だそうです。

そしてその隣には足軽長屋があります。

先ほどの武士中流階級の屋敷と比べると面白いかもしれません。だいぶ差がありますね。

足軽は微妙な身分で、武士階級(準武士)とすることもできますが、武家奉公人として中間・小者と同列に見られる例も多かったそうです。

さらに北へ向かいます。



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