高遠小彼岸桜が咲き乱れる高遠城。織田信長の甲州征伐で壮絶な落城となりました。
先日、福岡で小倉城と福岡城を見てきたわけですが、今回は戦国時代の合戦の舞台となったお城へと言うことで、高遠城へ行ってきました。
高遠城は長野県の伊那市高遠町にあるお城です。伊那方面はなかなか行く機会がないんですよね。狙って行った訳ではなかったのですが、ちょうど桜満開のタイミングでした。


桜祭りのタイミングだったからでしょう、駐車場は下の広場になっててそこから歩いて向かいます。高遠城址公園の入り口付近にもありますが、とてもじゃないけど入れないと思います。
高遠城
手前の堀から桜が満開。

どこがどうなってるかよくわからないくらい咲いてます。笑。



城址公園の入り口にたどり着く前にもう満足してしまうくらいの咲きっぷりでした。

高遠城は日本100名城に指定されているのですが、合わせて桜の名所になってます。
桜の名所もどこでもありますが、なんと「日本三大桜の名所」だそうです。ちなみに他の2ヶ所は弘前公園(青森県)と、吉野山(奈良県)。
ただ、もともと桜の名所だったわけではなく、明治時代以降で、植えられたタカトウコヒガンザクラ(高遠小彼岸桜)によるものだそうです。この桜、名前の通り高遠の固有の桜だそうです。城跡もそれほど広い訳ではない中、ざっと1,500本くらいが植えられているようです。

お城は、構築物は残っていませんが、石垣、土塁、堀なんかが残ってます。ただ、桜がすごすぎてよく分からなかったです。ええ。なので写真も桜の写真ばかりになってました。笑。




構築物というのか、桜雲橋と問屋門。門は城下からの移築だそうです。



そして南アルプスの絶景。いやいや参りました。

本丸の脇には新城藤原神社。


唯一の構築物となるのか?と思いきや大正2年のものだそうです。太鼓櫓。本丸を挟んで神社と反対側にあります。

よく見ると、土塁や堀切もすごいんですが、城址というかどちらかと言うと市民憩いの公園という感じですので、それほど詳しい説明書きはなかったですね。



城の築城は不明ですが、高遠を攻略した武田信玄が改修した城とされてます。
武田信玄の病死後、勝頼の弟である仁科盛信が城主となってます。武田家滅亡の舞台の1つとなったお城でもあって、織田信長に攻められ落城しています。織田軍は長男の織田信忠に5万の兵に対して、高遠城に籠もる盛信側の守備兵の数は3千です。お城を攻める場合は守備兵の3倍の兵力が必要と言われているので約1万が最低としてその5倍の兵ですから勝つわけがないんですよね。
この後、武田家は滅亡へと進んでいきます。
訪問時は桜に酔いしれてましたが、ブログを書いている最近、武田家滅亡の歴史小説を読破したばかりで、高遠城の落城の壮絶な内容が頭に入っているので・・・、なんとも悲しい話の舞台と感慨深いものがあります。






空堀も桜で埋め尽くされます。






多分、ここ最近10年分くらいで見た桜の量を超えるんじゃないかと言うくらいの桜を見ました。素晴らしかったです。
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