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「人間一生、物見遊山」そんな生き方をしてみたい。

 

都内にある山城の八王子城へ。小田原城開城のきっかけとなった北条氏の悲劇の城です。

      2021/06/06

ご無沙汰ですが、そろそろブログを再開してみたいと思います。

ようやく緊急事態宣言も解除の方向になりましたが、ほんとこれからどうなるんでしょうね。ワクチンの効果がまだよくわからないのでこの先もしばらくコロナと一緒の生活が続くんじゃないかと思うと憂鬱です。

緊急事態宣言中にお気楽なブログを書いてるのもイマイチだったので、少しお休みをしてました・・・って事でもないんですが、なんとなく間が空くとなかなか書き始めの腰が重いですね。

今回は八王子城です。城と言っても「八王子城跡」と言うことで天守閣みたいな見栄えのするものはもうないのですが、本丸や曲輪、石垣、土塁なんかの遺構が残っています。

ええ、だいぶお城に興味がわいてきてます。

去年いろいろとお城を回ってましたが、基本は天守閣が残っていたり、再建されたものがメインだったんですが、きっかけは安土城でしょうか。

車旅2)織田信長が築城させたと言われる安土城跡で当時の信長の勢いを想像してみます。

ちょうど大河ドラマで「麒麟が来る(明智光秀)」をやってましたし、織田信長の城ってことを考えながら観光してみると、まぁその時代のその場所に時代が変わって自分がそこにいるということがなんとも面白く、天守閣がなくても別にいいというか、鉄筋コンクリート造の再建だったら、むしろ要らないんじゃないかと思うほどになってます。笑。

という事で今年はかなりお城回ってみることになりそうです。

八王子城は、その名の通り、八王子にあります。私は町田在住なので、車で1時間ちょっとで行けてしまいます。今まで行くことを全く考えてなかったですし、存在すら知りませんでした。

でも日本100名城の本を見てると、載ってましたね。最初はなんともピンと来てませんでしたし、特に日本100名城のスタンプを集めている訳ではなかったのですが、行ってみることに。

まぁ私は、「なるべくいろんなところに行って、いろんなものを見る」というのが趣味なので。

正規の入口がどこか分かりませんが、資料館の隣に門があったのでそこから歩いてみます。

入口に鳥居があるんですよね。どうも神社になってるみたいです。八王子神社。調べてみると、「八王子神社は八人の王子を祀る神社」らしく、北条氏が城の守護神として祀ってたみたいです。

ちなみに「八人の王子」から「八王子」になったとか。

場所は都内と言っても、八王子です。東京都の果てです。笑。で、八王子城は山城なので登ります。ハイキングコースになってるみたいで、お城ファンって言うより家族でちょっとハイキングって感じの人が多かったです。

私も、同時に登ってた他の家族と同じように何も準備をしていないのでスニーカーだったのですが、普通の登山道だったので歩きやすい靴がいいと思います。距離はそれほどでもないので、まぁ登山靴でなくても大丈夫かなとは思います。

金子丸(曲輪)。今となっては普通の休憩するところですね。

階段が、築城時からの遺構なのか登山道の整備なのかは分かりません。

山の中の写真を並べてみましたが、途中は、登ってきてよかったっていう絶景が待ってました。標高はそれほど高くないのですが、新宿まではよく見えます。池袋まで見ると思いますが、写真からだと辛いかもしれません。ほっと一息で、ここまでくればもうすぐでした。

八王子神社は、整備がされていないというか、だいぶ朽ちてて、なかなかの雰囲気です。山の中なので誰もいないんでしょうか。こういう神社って最後だれもメンテナンスすることがなくなるとどうなるんでしょうね。

八王子城の悲惨な歴史と合わせて、なんとも雰囲気があります。

本丸は八王子神社の横からもう少し登ります。

本丸。天守閣はないのではなく、もともとなかったみたいです。それほど広くないので何か建物を建てるには少し厳しいので、そうなんでしょう。

ガイドブックでは、管理棟から徒歩30分って書いてましたがそんなところでしょうか。長くはないのですが、勾配は結構きつくて、そこそこ疲れました。天守閣とか派手な建築物はないですが、それはそれでいいんです。

標高は高くないので、当然森林限界は超えず、山頂と言ってもうっそうとしてますね。

山頂から少し下ったところにも展望が開けてるところがありました。

小田原北条氏の最大の城だったそうです。北条氏は小田原城なので、その支城というらしく、1587年(天正15年)頃に北条氏照(三男)が築城して、時期は1584(天正12)年から1587(同15)年の間だそう。

本丸の横に少し下ったところにも曲輪があって、かなり荒れてましたが、行ってみました。

八王子城の陥落はわずか1日と言われてます。たぶん実際はそれよりも短いのではないでしょうかね。豊臣秀吉の関東制圧により落城です。上杉景勝、前田利家軍による総攻撃だったそうですが、主力が小田原城に集結してたためとも言われてます。

で、この八王子城の落城が引き金となって小田原城は開城、北条氏は滅亡することになり秀吉の天下となるので、とても歴史的には大きな意味を持つお城なんですね。

主力の兵力が小田原城ではなく、八王子城にあったとしても落城は時間の問題だったのではないかなとは思いますが。

一旦下山して、御主殿跡へ向かいます。

曳橋(ひきばし)。再現です。

山城と言っても、ずっと城にいるわけではなく、基本的にはふもとで生活していたようで、戦の時だけ城に入ってたみたいです。ここには当時の石垣が残っててなかなか貴重なもののようです。

400年前のものがそのまま残ってて、当時のまま保存されているそうです。もともとは土の中に埋もれてたそうなので、それだけ長くこのきれいな状態で残ってたんでしょうね。

主殿跡。

の滝。ちょっと写真を撮るのをためらうほとの歴史です。

落城の際に「女性や子供、将兵たちが滝の上で自刃をして、次々と身を投じ、三日三晩川の水が赤く染まった」という滝です。

女性や子供も・・・ってところでなかなか現代に生きる身としては信じがたいところではありますが、秀吉側が御主殿に火を放ったから・・・というところもあるようで戦国時代の厳しさというか地獄絵を見るようでした。

400年前ってまぁ戦国時代ですけどそれほど遠い昔じゃないというか、その当時の光景は想像を絶する地獄だったんだと思います。

城主だった北条氏照は、当時小田原城にいたので、八王子城の陥落時にはいなかったのですが、小田原城開城の後、秀吉からの命で切腹してます。

という八王子城跡でした。天守閣みたいな観光的に目を引く建築物なんかは一切ないので地味と言えばそうなんですが、歴史を知ってみると、これは100名城なるほどとなりますし、一度は行って見ておくお城かなと思いました。

今年のお城巡りは続きます。



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