金城町石畳道で古都の風情を感じて、令和元年に五度目の焼失となった世界遺産の首里城へ。
沖縄の話の続き。
いろいろとグスク巡りをして、やっぱり最後は首里だろうということで首里城跡へ向かいます。
首里城は以前来ているのですが、あまり記憶がないのが石畳道ですね。来てはいますがほとんど記憶がありません。
金城町石畳道
まずは、金城町石畳道へ散策へ向かいます。首里城の隣ですね。朝早いので首里城はまだ開いてません。
ここはかつての城下町だったというところです。琉球王朝時代に生まれたと言われている琉球石灰岩の石畳の道が続きます。
本来はこのまま那覇港まで続いていたらしいのですが、沖縄戦でほとんどなくなって、約300mだけ残ってるって書いてました。と考えるととても貴重な道かなと思います。
行ってみると、普通に生活されている生活道路なんですけどね。この時間は誰もいませんが、観光客だらけになると生活しづらくならないのかな、なんて考えちゃいます。特に通行料とかもないですし。
雑誌とかでよく紹介される場所ですね。石敢當(いしがんとう)は魔除けの石だそうで、ここだけじゃなく随所にあります。
しばらく歩くと、金城村屋。無料休憩所です。
その横には金城大樋川(かなぐすくうふひーじゃー)。家庭に水道が引かれる以前、村ガー(共同井戸)として使用されていたところです。琉球王国時代に使われていた伝統的な井戸とのことです。
石畳道はこの先も少し続きますが、みどころはだいたいこんな感じで折り返します。
石敢當はこんなところに埋め込まれてたりしますね。
そして少し脇道に入って、大アカギの方へ。ここがまたすごく風情がある通りでした。ただこの石畳の階段だと大変じゃないかなぁ。
樹齢200年以上で高さ20mのアカギの木だそうで、どれって特定することはできませんでしたが、ガイドブックには5本ってあるんでこれなんかもそうじゃないかな。
写真撮ったようなところは、それぞれ近くにあって歩いてもそれほど時間かからないので首里城とセットで回るのがお勧めです。
金城町石畳道を散策して、そろろそ首里城へ向かいます。
首里城
首里城は少し前に焼失のニュースが大々的にやってたのが記憶に鮮明に残ってます。2019年(令和元年)10月31日だそうです。Wikiによると歴史上5度目の焼失だそうです。
現状はどうなってるんでしょう。
守礼門。漢字の通り「礼節を守る」と言う意味だそう。
そして守礼門をくぐってすぐに見えてくるのが、御嶽の門の「園比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)」です。
これだけで世界遺産に登録されています。
国王が外出する際に無事を祈願したところだそうです。
歓会門(かんかいもん)
瑞泉門(ずいせんもん)。残念ながら工事中。
瑞泉門から九慶門(きゅけいもん)。やっぱり他のグスクと同じで城壁の曲線が美しいです。
漏刻門(ろうこくもん)。漏刻は水時計の意味。中国語です。やっぱり全体的にかなり中国の影響を受けてますよね。
広福門(こうふくもん)。
奉神門(ほうしんもん)。
太っ腹なのがここまでは無料エリアなんですよね。ここでチケットを買って有料エリアへ入ります。ただ、書いた通り令和元年の焼失により世界遺産に登録されている正殿の遺構はありません。
5度目の焼失らしく、前回は1945年。そう、終戦の年です。
日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる
「日本軍南部撤退の際には、歩行不能の重傷兵約5000名が首里城の地下陣地で自決した。」とありますので、ここも終戦時には想像を絶する地獄だったはずです。
by wiki
戦後は首里城跡になんと琉球大学が置かれていたらしいのですが、守礼門が再建されたのを皮切りに悲願だった首里城の再建となったそうです。
東のアザナへ向かいます。
東のアザナからの展望。
ガマ遺構。
久慶門。
正殿は現在修復作業中なのでいずれまたきれいに復元されると思います。正殿遺構は焼失していますが、周辺の門や城壁はやっぱりすばらしく沖縄のシンボル的なグスクだなと思います。
今回はゆっくり一人旅なので、いろいろと細かく見学できてよかったかなと思います。
さて旅も終盤。沖縄はあと1回の記事で終わりです。
つづきます。
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