秀吉が一夜で造ったと言われる総石垣の城である石垣山城。小田原城を見下ろします。
いくつかお城を巡ってきましたが、今回は石垣山城です。
石垣山城はもともとは「笠懸山」という山に築かれた城なんですが、総石垣の城を建てたことから「石垣山」と名前が変わったそうです。
日本100名城ではないのですが、続日本100名城に選定されてます。
場所は小田原です。
駐車場には石がゴロゴロと。これは江戸城築城のために切り出された石だそうです。
で、駐車場反対から行ってきます。
さすが、総石造りの城だけあって、石だらけですね。前回が石を使わない総土造りの山中城だったので正反対ですね。
この石は当時のままなんでしょうか。ゴロゴロと転がってる様子は迫力があります。修復されてきれいな石垣をみるのも悪くないのですが、当時のままのところも悪くないです。この破壊されたような石垣なんですが、おそらく関東大震災の時のものだそうです。
山城なんですが、駐車場がもう山頂近くなのですぐです。
手前の建物は歴史とは無関係の管理棟みたいなもの。建築物は残ってません。
二の丸跡。
そして正面がだいぶ岩が崩れてますが、本丸ですね。
もののみごとに崩落してます。
本丸へ。
本丸からの眺めはすばらしいです。小田原市街からまるみえです。
この石垣山城なんですが、別名もあって「石垣山一夜城」または「太閤一夜城」とも呼ばれてます。太閤は秀吉のことで、秀吉が作った城なんですね。
豊臣秀吉が小田原城攻略のために作った城と言われてます。で有名なのが「一夜城」の名前にもあるように一夜にして築城したかのように見せたためと言われてます。
一夜では作れないので、つまりは山頂の林の中にお城を造って、一夜のうちに周囲の樹木を伐採しすぐに築城したかのように見せたということです。
まぁ一夜って言うくらいなので突貫工事というか、側だけ作って見せたようなもののようにも考えられますが、これだけの石垣をみるとかなり立派なお城だったんじゃないかと言われてます。
調べてみると、約3~4万人を動員し、4月から6月下旬までの80日で構築されたとのこと。もう壮絶ですよね。石一つ運ぶのも大変な苦労だったと思いますが、それを80日ですから。要はむちゃくちゃ金持ちだったって事ですねぇ。
個人的には、この数キロしか離れていない小田原城の目と鼻の先で80日と言っても約3ヶ月、数万の人でお城を造ってたわけですから、小田原城の北条氏側が何も知らなかったとは思えないんですよね。分かっていたけど何もできなかった・・・ということでしょうか。そして石垣山城で茶会なんかをやってた秀吉の冷淡さも感じます。
そして見下ろす小田原市街。
小田原城が見えてるんですが、よくわからないので〇を付けてみました。
おそらく、秀吉も私と同じ場所に立って、小田原城を見たんじゃないでしょうか。これはもうロマンです。
どんな気持ちだったんでしょうか。おそらく勝利はもう確信していたと思いますが、逃げ道を塞ぐように、八王子城、山中城と落城させてきて、最後の詰めでしょうか。
ここで茶会とかやってたって話もありますし。楽しんでたんでしょうか。最後はこの山から、海から包囲された小田原城が目と鼻の先、車で10分位です。北条氏と秀吉の間は天と地獄だったのでは。
天守閣があったかどうかは分かりませんが、天守台へ。
西曲輪から戻ります。
本丸の下。
もう一つの見どころとして井戸がありました。
なかなか見ごたえありでした。って天守閣はもちろん、なんら建築物は残っていないですし、石垣も崩落しまくってますが、やっぱり、ここから小田原城を見て、当時の秀吉の陣営を想像すると何とも言えない気持ちになります。
南曲輪の下。石垣が流れるように崩落してます。個人的には危険がなければこのままで保存してほしいなぁと思いますが、いつか修復されてきれいな石垣になるんでしょうかね。
ここはぜひ来てみたいお城かなと思います。
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神奈川 続日本100名城