日本最大の中世城郭だった難攻不落の小田原城も、秀吉軍に降伏し北条氏は滅亡。
石垣山城を見て、その足で向かったのは、ええ、小田原城です。
当初予定していなかったのですが、車で10分もかからないですし、石垣山城から見下ろした小田原城もやっぱり同時に見ておきたいなというところです。
小田原城は何度も来てますが、ようやく歴史を理解してちゃんと見れるところまで来ました。

駐車場脇の藤。


小田原城のHPを見ると、こんな記載。
1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。
by 小田原城HPより
そうなんです、当時で日本最大のお城で、それだけでかいお城だったので攻めるのも大変で難攻不落の城と言われたそうです。外堀から本丸まで遠いところで3,4kmだったというデカさ。
難攻不落だけあって、秀吉の時は最後は無血開城になってます。
建物は全部壊されて、石垣なんかも関東大震災で崩壊したそうなんで基本的には全部修復後だと思います。
小田原城 銅門。



イヌマキの木。

久し振りの天守閣のあるお城。正面の壁の上から見えてるのが、推定寿命400年と言われる松。7本松と言うことで昔は7本だったそうですが、今は1本残るのみだそう。それにしてもでかいです。

常盤木門


そして小田原城。




今年見てきたお城は、八王子城、山中城、金山城、石垣山城です。
激動の1590年の流れはこんな感じ
3月29日 山中城落城(箱根)
6月23日 八王子城落城
6月26日 石垣山城の完成
7月 5日 小田原城開城
8月 1日 山中城開城
確かに、山中城が半日で落とされて、その後3ヶ月で八王子城が陥落。その3日後に石垣山城の登場です。その当時で小田原城は海も含めて全方向から秀吉軍に包囲されていて、7月5日に小田原城の開城となったよう。
その後、北条氏は7月11日に切腹になってます。開城から6日後ですね。
この流れを狙ってお城を回ったわけではないのですが、関東近辺を回ると結果そうなったって感じなんです。なかなか良かったです。





報徳二宮神社
小田原城の横にある報徳二宮神社へ立ち寄ってきました。










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神奈川 日本100名城, 社寺