天下を取った豊臣秀吉が朝鮮出兵のために築城した名護屋城跡。
2021年7月28日の記録。過去記録なので簡略化して書いてます。
佐賀の名護屋城へ。読みは「なごやじょう」ですが、名古屋城ではなく、名護屋城です。お城好きでないかぎりあんまり知らないんじゃないかなぁ。お城は豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点として築かれた城です。
大手口。
石垣はすごいんですが、こんな感じなのでそのまま残ってるようですね。
旗竿石。
崩れてますが、そのまま残ってるとなると、やっぱり見入ってしまいます。
東出丸跡へ。
東出丸。
東出丸からの景色。ここから見えるところで、いたるところに各大名の陣屋があったようです。
これです。まぁすごいです。
百姓から天下を取った豊臣秀吉はジャパニーズドリームでよく語られますが、まぁ天下を取ってからすぐに頭がおかしくなって、全国の大名を集めて朝鮮へ出兵するという事をやってしまいます。歴史上の人物で最も嫌いな人物の一人です。そのおかげで関ケ原につながる訳で・・・。
東出丸の全景。
三の丸へ。
城郭はかなり残っているようで、名護屋城の規模の大きさがよく分かります。
本丸大手門跡へ向かいます。
本丸大手。
そして本丸跡。
むちゃくちゃ広いし、景色は最高です。天守台だそうです。
まだまだ迫力の城郭が続くんですが、一番お気に入りだったのが、馬乗り馬場へ向かう通路。
三ノ丸櫓台。
ここですね。
搦手口を経由して戻ります。
いや~、天守閣やら櫓なんかを再建していないので、地味なんですが、それがまた石垣好きの私にとってはビンゴでした。すごくよかった。
1585年に関白になって、1590年で北条氏滅亡。1591年に名護屋城の築城を開始したと言われてますが、1598年に死んでますので、ざっと約10年。
名護屋城を見ると、いろいろ複雑な気持ちになります。
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8.九州 史跡, 日本100名城