最後の清流と言われる 四万十川沿線を走る予土線に乗って、現存天守の宇和島城へ。
この日は高知から宇和島へ移動します。目的は宇和島城です。
予定はこんな感じ。
高知~窪川 しまんと1号
08:20 ~ 09:26
窪川~宇和島 予土線
10:43 ~ 13:29
しまんと1号ってなってるようにこれが一番早いスケジュールでした。ここの経路が一番田舎っぽかった感じがします。
若干面倒だったのは、窪川で1時間ちょっとの待ち時間ですね。まぁ1時間くらいなのでなんてことはないのですが、もう少し早く宇和島に着ければ・・って感じもします。
そして、駅前には土佐の幕末の英雄の像がありました。左から武市さん、坂本さん、中岡さん。
予土線
高知~窪川までは、正直乗ってるだけというか、まぁそんな感じです。で、そのさき窪川からがなかなかとういか、かなりいい感じの鉄道旅でしたね。
これがお世話になる車両です。予土線で「窪川~宇和島」まで。時間にしてなんと2時間45分です。結構長いですよね。
もちろん電化されていないので汽車なんですが、1両編成でトイレもないので、その場合は途中駅で済ませることになります。
待ち時間の間、ちょっと美味しいものでも食べようと駅周辺を歩いてみましたが、開いてる店がなく、結局何も食べれず。コンビニもないですよ。
そう、自動販売機のジュースだけです。
なんだかんだ、ずっとこの車両を見ながら時間をつぶして出発です。予土線乗るのは初めてなんですが、私の今までの経験の中で一番よかったです。ええ、雰囲気も景色も、途中駅も乗り降りする人達の生活感も含めてですねぇ。
途中はもうずっとすばらしい景色が続きます。四万十川もそうですし、素朴な田園風景だったりもそうですね。
途中の駅で停車時間が結構あるので、その度に車両の外に出て景色を見たりのんびりできます。
急ぐ訳でもないのでずっと乗り続けるよりいいですし、何より外の空気を吸って、「確かにそこにいる」という感覚を感じるのが非常に気持ちがいいです。
途中、宇和島に近づいてくると学生達が乗ってきて賑やかになりました。約3時間の予土線でしたが、できればまた違う季節に乗りたいなぁと思います。
まずは食事をしてから宇和島城へ向かいます。ちらっと見えてますけど。
ずっとうどんばかり食べていて、ここでもうどんを食べたかったんですが、宇和島までくると、そんなにうどん屋さんはなかったので評判のよかった天ぷら屋さんへ。
宇和島城
ごはんを食べて宇和島城へ向かいます。宇和島伊達家10万石の本城です。
それほど大きなお城ではないのですぐに着いてしまうのでゆっくりと向かいます。宇和島城のHPには珍しい植物の宝庫と書いてましたが・・・、どれかは分からず。
城山の植物は少なくとも300年以上、火災や伐採をまぬがれたため、巨木や珍しい植物の宝庫となっています。
本丸石垣。幕末の修理跡が分かるようなのですが、草でよく分からず・・。
天守閣がとにかく美しい。きれいな芝生の上に凛として立っているからでしょうか・・・。あ、気づきました。一切の装飾というか看板も何もないんですよね。これはすごく珍しい。見学もできますが、「受付」の看板すらないです。
寛文11年(1671年)に完成して現存らしいです。約350年。大きな天守閣ではないですが、きれいに保存されている感じが印象的で、小さいながらに立派な天守閣かなと思います。
現存天守は12基残っているのですが、その4つが四国にあります。
丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城です。
松山城は以前の旅行の時に訪問していて、残りの3基については、今回の旅で回ることができました。
愛媛へ。現存天守閣の松山城を観光して道後温泉と鯛めし。王道の松山観光を満喫です。
伊予松山城、高知城のような大きなお城もよいですし、小さいながらも石垣日本一という丸亀城も素晴らしいです。その中で宇和島城は、なんとも四国の風情を感じさせるようなお城です。まぁ地味ですが、なんでしょう、それも悪くないなぁと言うところ。
城内最古の石垣。草で分かりづらいですが、上部は江戸時代に修復されている形跡があるものの、築城当初の古い石垣の特徴が残っているそうです。最初の築城は1601年なので約420年前ですね。
式部丸跡。草がすごいので分かりづらいですが、石垣は見事です。
この正面に見える折れてる木。ちょうど私が居たときに、バキバキバキ・・・ってものすごい音がして上から落ちてきました。笑。
ちょっとお城続きでしたが、宇和島城も来てよかったかなぁ。
ちなみに、現存天守12基で残りは丸岡城(福井県)のみとなりました。近いうちかどうかは分かりませんが、やっぱり見てみたいです。
天赦園(てんしゃえん)
オマケ程度ですが、宇和島城のすぐそばに宇和島藩第7代藩主である伊達宗紀が、隠居場所として建造した池泉廻遊式庭園があるので、行ってみました。天赦園です。
ここは藤がとても有名らしいのですが、見頃は4月上旬~中旬なので、こんな感じでした。咲いた写真がパンフレットに載ってますけど、まぁきれいですね。見てみたいものです。
こんなきれいな庭園で隠居生活ってどんなもんでしょうかね。
まぁ当時の隠居生活って、引退と言うか、家督を長男に渡して隠居するという事で、年齢的には40歳とか50歳頃らしく、ちょうど私の年代になりますね。
当時平均年齢は今ほどではないんですが、ちゃんと長生きしてる人は70歳とか80歳とかまで生きてますので、隠居生活20年、30年って事もあったようです。
四国の旅は続きます。