やりたいことをぜんぶやろう!気ままな人生

「人間一生、物見遊山」そんな生き方をしてみたい。

 

愛媛は大洲。伝統技術を忠実に再現して復元された大洲城と、粋を極めた臥龍山荘へ。

   

四国の旅もいよいよ終盤です。

サンライズ瀬戸で香川から始まって、徳島、高知、愛媛と回ってきました。って言ってもほとんどお城見てるばかりですけどね。

前日までで、宇和島(愛媛)まで来ています。

この日向かったんは大洲城(愛媛県大洲市)です。

乗るのは、これ。宇和島~大洲まで宇和海8号。宇和海(うわかい)ってよく知らなかったんですが、愛媛県と大分県の間にあるところの海のことらしいです。

到着したのは伊予大洲駅。

鉄道の旅です。駅から少し距離がありますが、歩いて向かいます。

大洲城

まぁ途中の川沿いからもう見えてます。大洲城。いや~かっこいい。

どこから入ろうか・・・と探しつつ、川沿いから攻めてみることとにしました。笑。

ちょうどよかった。川沿いに櫓がありました。苧綿櫓(おわたやぐら)です。

ちなみに後で分かったのですが、大洲城の遺構として天守閣は再建されてますが、4棟の櫓は解体を免れたらしいです。で、その4棟のうちの2棟は天守と少し離れていました。この苧綿櫓と南隅櫓になります。もれなく回りたいかなと思います。

大洲城はこの川、眩川(ひじかわ)沿いにあります。

お城の前にある古民家をリノベーションしたホテル。訪日客向けでしょうかね。川越にもありましたけど。泊まるときがくるんだろうか。。

これは石垣の復元中でしょうかね。

石垣越しの天守閣。

手前左と右が現存の櫓になりますね。左が高欄櫓で右が台所櫓です。後ろが再建された天守閣。

受付は台所櫓の中になります。

天守閣内部はもちろん見学できます。あと、高欄櫓も見学できました。

大洲城は日本100名城ではありますが、前日の宇和島城とかと違い再建天守ですし・・・って感じで見学へ。

で、入るまで知らなかったのですが、この大洲城がすごかったんです。

天守閣が復元であることは間違いないのですが、そもそも取り壊しになったのが明治21年で明治6年(1873)の廃城令からずいぶん後なんですよね。平成16年に再建されていて、ざっと130年後です。

で、当初の設計図みたいな資料がかなり充実していたらしく、ほぼ当時に近い形で再現された天守とのことでした。

鉄筋コンクリートでの再建や、観光目的で展望室を作ったりということが多いですし、そもそも当時と同じ形での再現はなかなか難しく、しかも当時の技術を忠実に再現したというので、素晴らしいの一言です。

これ、後の数百年にわたって残っていくんじゃないでしょうか。

パンフレットには、木材の選択(国内産木材)、工法、木組、壁、瓦の外部から内部に至るまで当時の技術工具にこだわって忠実に復元されているとのことです。

驚いたのが、釘も、和釘と言って、古来の工法にならって純鉄から制作したという力の入れようです。さすがに釘は見えませんでしたが、要は地元の人達の熱意ですよね。ほんとすばらしい。

いやいや、すばらしい大洲城でした。

最後に、少し離れたところにある南隅櫓へ。

公園になってましたが、なぜかここもホテルになってました・・・。櫓を見ながら宿泊ですかね。

大洲城に感激した後は臥龍山荘へ向かいます。ちなみにこの大洲の周辺は昔ながらの町並みということで再開発が進んでました。臥龍山荘の手前も、たぶんホテルになるのかな??工事中でした。

取り壊すんじゃなくて、再利用するっていいですよね。

臥龍山荘

石垣の並べ方がかなり特徴的です。

臥龍院から望む庭。

霞月の間。

臥龍院の中の建築美というか、遊び心、意匠なんかもすばらしいんですが、何と言っても、この先にある不老庵が見ごたえがあります。

振り返ってみる臥龍院。見事な茅葺屋根ですね。

知止庵。

で、これが不老庵です。川の上に建ってます。

これは生きたままの木を柱に使う「捨て柱」というそうです。ずっと成長していないそうです。まだ生きてますがなんとも不思議な木です。

それほど広くない庭園ですが、細かいところで遊び心がいっぱい詰まった建物、庭でした。

幕末までは歴代藩主の優賞地として保護されていたそうです。明治維新後、富豪が財を投じて再構築したそう。見ごたえ十分でした。

大洲城と共通観覧券があるので一緒に回ると少しお得です。

おおず赤煉瓦館

最後は駅に向かう途中に大洲の昔ながらの町並みを通っていきます。

で、これが、おおず赤煉瓦館。

レトロな街並みとか全国各地に町おこしでありますが、大洲のここは、そんな企画をしなくても、町全体が昔の風情を残してました。いや~こんな町があるんですねぇ。

最後に川を挟んで大洲城を見て駅へ戻ります。

Wikiによると、天守閣は「石垣の上から19.15mあり、本来なら建築基準法で木造では認められない規模」だったそうです。2年ほどの交渉の後、適用除外が認められて天守再建に至ったそうです。

何事も「思い」からですね。



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