徳川家康が生まれた岡崎城へ。複雑な縄張りを構成する石垣のすばらしさに感動します。
静岡の駿府城を後にして、岡崎城へ。
ええ、駿府城は家康と深いつながりがありますが、ここ岡崎城もそうで、徳川家康が生まれたのは岡崎城と言われてます。そうなんですね。
で、岡崎城で生まれた後は、織田信長の父の人質、8歳で今川義元と人質になってます。桶狭間の戦いで今川義元が戦死したことを契機に自立となっているので、まぁ織田信長あっての秀吉って事になるんでしょうか。桶狭間の戦いで信長が敗れていれば、歴史はどうなってたんでしょうかね。
桶狭間の戦いは織田信長軍と今川義元軍の合戦で信長が本陣を奇襲し今川義元を討ち取ったと言われてます。
駅からのんびり歩いて向かうと岡崎城が見えてきました。
堀沿い、風呂谷曲輪の方から入ります。
進んで見えてくる印象的な赤い橋が神橋。
さすが徳川というところで灯籠も三つ葉葵です。
前半戦ですが、石垣がすごいんですよね。
岡崎城の天守閣の隣には龍城神社があります。
そして天守閣。1959年(昭和34年)に復興だそうです。ちょっと手前の木が邪魔ですけど。
天守は3層5階建てなんですがそれほど大きくない印象でした。
天守閣を見学した後は、石垣巡りです。城に「岡崎城跡 石垣めぐり」というパンフレットがありました。これは珍しいですね。石垣だけのパンフレットで、岡崎城の各場所の石垣の写真と説明が丁寧に記載されてました。いやいや石垣だけのパンフレットは初めてみました。
これが、本丸天守台石垣。不揃いな花崗岩の自然石を用いて築かれており、城内で最も古い石垣だそうです。
本丸埋門(うずみもん)石垣。
本丸埋門北袖石垣。高さ10mを超えるそうです。形と苔具合がすごくいい雰囲気を作ってます。
石垣の上に鳥居があったんですが、その先に「東照公えな塚」があります。えなとは胎盤だそうで、家康公の胎盤を埋めたそう。
ここまで来ると天守閣がきれいに見えます。
そしてまだまだ続きます。
左が持仏堂曲輪腰巻石垣(じぶつどうくるわこしまき)、右が本丸腰巻石垣。その先に廊下橋の石垣。説明書の通り、左が直角で右が曲線。曲線はあまりみないので美しさがあります。
ぐるっと回って、堀。清海堀って書いてます。
清海堀からの天守閣。
本丸辰巳櫓下(たつみやぐらした)石垣。江戸切り。
なかなかによかったです。これだけ丁寧なパンフレットと看板があればちゃんと見て行けばよく分かりますね。それぞれに石垣の特徴が異なってるのも面白かったです。
二の丸の方へ向かってみると、二の丸南東石垣。
家康の生家としての岡崎城って面白さもありますが、まぁここは石垣が過去最高によかったです。岡崎城ではこのパンフレットで石垣を巡ってもらうのがお勧めです。
ただ、ぐるっと回ったつもりだったんですが、大手門の見学が漏れてました。笑。
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4.中部 日本100名城