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戊辰戦争、壮絶な二本松の戦いの戦場となった二本松城。ここも少年隊の悲劇がありました。

   

会津若松城へ行った帰りに二本松城へ立ち寄ります。高速を使って70km、約1時間の距離です。

どうも向かった時に駐車場の場所をまちがえたみたいで、ちょうど裏手についてしまいました。笑。まぁよくあることですね。

とりあえず向かってみます。雪が残ってますが、まぁ気持ちいい天気でした。

少し歩いて行くと、立派な石垣が見えてきます。

やっぱり完全に裏から入ったみたいです。

その前に行った会津若松城は難攻不落と言われ、開城まで落とされたことはなかったみたいですが、この二本松城は戊辰戦争の際に落城してますね。これも非常に悲劇の歴史かなと思います。

戊辰戦争の舞台になってて、会津藩と一緒に明治新政府軍と戦ってるんですね。

築城は室町時代らしく、1414年ともいわれているのでかなりの歴史があるお城なんですね。でも戊辰戦争の際に僅か1日の戦闘において落城したとのことです。八王子城と似てますが、主力部隊が白河口に出向いている隙をつかれたとのことでした。

平山城です。山城と平城の間ですかね。眺めは抜群によかったです。

城も炎上しはじめ落城の危機になった時に、ここで「安部井又之丞」という人が切腹したそうで、腹から自分の内蔵を取り出して絶命したそう。もう壮絶です。

一本の松が印象的。

歴史自体は室町時代から江戸時代と続いてるので、興味深いところはあるのですが、やはり近代、明治の時代での戊辰戦争の悲惨さが心に残ります。

そしてゆっくりと降りてきて箕輪門の裏まできました。松がすごい。

この門(箕輪門)から、敵の前に攻め出て行った人もいたそうです。門のほんの数メートル先に碑がありました。

そして、白虎隊ではないのですが、二本松少年隊群像があります。12歳から17歳の少年兵部隊です。最少年齢の隊士の年齢は12歳。本来14歳からだったのですが、非常時には2歳下まで繰り入れられるという恐ろしいルール。

悲劇の歴史かなと思います。「二本松少年隊」というのは後からつけられた名前だそうで、当時隊名はなかったとのこと。全体25名。数名生き残ってますが、大半は戦死です。(62名との記載もあります)

もう一度「箕輪門」から入りなおして、裏の駐車場まで向かいます。ちなみに箕輪門は再建。

きれいな庭園が整備されていて、滝もいくつかありました。

悲惨な歴史はどうなんでしょう、知らなくていいかもしれません。なんて、白虎隊の自刃と合わせてなかなかに暗い気持ちになります。



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