徳川家康の命で築城名人の加藤清正が築城した名古屋城。清正の天守石垣がすごい。
名古屋城です。名古屋も何度も来ていますが、まぁ名古屋城へ来るのは初めてになります。そもそも名古屋で観光するって事がなかったですからね。
名古屋城は徳川家康が築城を命じた城なので、ここまでの駿府城、岡崎城とつながりますね。
関ケ原の戦いの後1609年に豊臣方への備えとして築城を命じたそうです。ただ、実際の戦場にはなってないようです。
名古屋駅からちょっと遠いんですが、歩いて向かいます。ただ、なぜかこの日は雪でした。笑。
加藤清正像。
名古屋城を作った大名の一人。20の大名が参加したらしいのですが、功績が素晴らしかったのか清正像のみありますね。実際の城主ではないのですが、城作りの名人と言われているのでやっぱり功績なんでしょうね。というか城主だった家康の9男の義直があまり有名じゃないからかもしれません。
正門へ。
こんな大雪の日に見学に来る人はさすがに少なくゆっくり見れました。
天守閣が見えますね。
西南隅櫓。対象12年の修復です。
こちらはその反対の東南隅櫓。
しかし、名古屋城の石垣のスケールはすごいです。表二之門。西南隅櫓、東南隅櫓と合わせてこれも重要文化財です。
石垣もところどころに超でかい石が使われてるんですよね。
そして名前も入ってたり。いろんな城で見ますが、ここ名古屋城では築城した諸大名が他の大名と区別するために刻んだそうです。
表二之門を超えると、ピカピカの本丸御殿です。
本丸御殿はずいぶんピカピカです。昭和5年には国宝指定されていたらしいのですが、昭和20年の空襲ですべて焼失していたそうです。で、平成21年から復元工事が開始されて平成30年に全体公開と言うことなので、まだまだ新築ですね。
天守。
こちらは昭和34年の再建。ただ、現在は耐震性が低いということで残念ながら閉館されてます。
本丸御殿の中も見学できます。ピカピカの新築です。すべてレプリカなので写真どこでも撮り放題。
とはいえ、あまりにもピカピカの新築すぎて、特に惹きつけられることもなくここは足早に出てきました。
清正石が見えます。
あまりにもデカいです。ちなみに持ってきたのは本当は清正じゃないとか?
雪すごくて吹雪みたいですが、二之丸庭園へ向かいます。
これは、傷んだ石垣の補修工事。最初なんだろ?って感じでしたが、崩した石垣にマークを付けてきれいに並べてました。いやどれだけ石を使ってるんだろうって感じですし、修復も気の遠くなる作業じゃないかなと思います。
2003年~って事なのでかれこれもう20年も経ってるんですね。
二之丸庭園。
ちょっと雪がすごかったのでゆっくりできませんでした。笑。
ぐるっと回って帰ります。不明門。
グルグルと名古屋城を回りましたが、一番の見どころは、不明門からぐるっと天守を回って歩くときに見えるこの石垣じゃないかと思います。鉄筋コンクリートの入口が天守に突き刺さってるのはイマイチですが・・、石垣がやはり見事です。
西北隅櫓。
最後になりましたが、一番の見どころ。天守の金のシャチななんと、展示のためにしばらく取り外して各地を回るそうです。そんな・・・、事ってあるんですね。なのでちょうど足場が作られて取り外す準備中でした。
築城名人だった加藤清正が作った城は、名古屋城以外でも熊本城、江戸城など。熊本城は日本三名城って言われてます。ただ、この三名城の明確な定義がある訳ではなく、「江戸城、大坂城、名古屋城」を挙げる人もいます。名古屋城は再建なので外れるってこともあるかもしれません。
九州一周、宮崎空港から大分・福岡を回って熊本まで。路面電車で日本三名城の熊本城へ。
この反った石垣が武者返し。上に行くほど急勾配になる石垣で、誰も登れなかったとか。
鵜の首。
しかしこの石垣はすごい。諸大名が関わってますが、加藤清正は最も重要なこの天守を担当したそう。しかも、説によると熊本からはるばる2万人を引き連れてきて、3ヶ月で作り上げたとか・・。
徳川家康の最後の城であって、築城名人の加藤清正(他諸大名)が作ったお城でした。
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4.中部 日本100名城